日本海軍の無線送信所の跡地

下記は、船橋地名研究会の会長の滝口さんから教えていただいた情報。
詳細は、滝口さんが作成の『行田無線史』第1号(2005.6刊行)から第17号(2009.3刊行)までの中に詳細が記述されています。

【写真1】

船橋行田

船橋行田周辺地図

写真1は、千葉県船橋市行田の写真。旧海軍船橋無線電信送信所のコウモリ傘の骨組に似たアンテナを維持する為の円状の敷地と円周状の道路が今でも残っている。

https://maps.google.co.jp/maps?q=35.719984,139.971421&num=1&t=k&brcurrent=3,0x601880efaf3f9fcd:0xaaab399b2ece6a6e,0&z=17&iwloc=A

【写真2】

高尾の送信所跡

高尾の送信所跡

写真2は、台湾の高雄市の衛星写真。Google Mapで今でもチャント確認できます。

https://maps.google.co.jp/maps?q=22.631441,120.374388&num=1&t=k&brcurrent=3,0×0:0x0,0&z=16

写真1と写真2は類似している。それもそのはず、旧日本海軍が台湾を占領下にとして統治していた時代に船橋の海軍送信所と同じものを台湾に作成したからだ。

もともとは、ドイツの技術。送信機/アンテナ等全てをドイツから輸入している。

太平洋戦線開戦とされた真珠湾攻撃開始の暗号「ニイタカヤマノボレ1208」が最初に打電されたのが写真1の船橋送信所からであるが、この通信は1対1の通信ではなく一方的に送られる放送型で行われ、複数の送信所から繰り返して送信されたことから、史跡の送信所には「ニイタカヤマノボレ1208はこの送信所から送信された」と記録されるものが複数存在することになる。とはいっても最初に船橋から発信されたというのは間違いのないところ。

ちなみに「ニイタカヤマ」とは当時日本一の山は富士山ではなく、現在の台湾にある「新高山」だったからで、米国との交渉がまとまって攻撃中止の場合の暗号は「ツクバヤマハハレ」が事前に決められていたという。

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